ゼクシィのCMに使われているキャッチコピーが人気を集めている。
結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです
このコピーは現代の多様化された価値観を反映したものとして、比較的高く評価されているようである。例えばツイッターなどを見るとこんなことが呟かれている。
「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」は久々におおっと思ったコピーだった。結婚最高と賞賛しつつ、非婚も否定しない。比較しているようで、比較していない。人それぞれにうまく落とし込んでる。
つべでゼクシィの広告が入ったんだけど、コピーが「結婚しなくても幸せになれる時代に、私はあなたと結婚したいのです」でなんかめっちゃ素敵だなーと思った。多様性を意識した前置きはさることながら、“私”と“あなた”の二者間のことなんだ、っていうのが配慮でもありロマンチックでもあり。
「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」ってゼクシィのコピーのどこがグッと来るのかというと、結婚=幸せじゃないよね?って言葉にはしないけど、薄々みんなが思ってたことを言語化して、それでも結婚って尊いよねと結婚の価値を爆上げしてるところだと思います。
Yahoo!ニュースで取り上げられたこともあり、多くの人に目に止まったようだ。
私もこの意見には概ね賛成であり、結婚というものが絶対的なものではなく、選択的なものになったという時代の価値観をうまく捉えたキャチコピーであると感じた。
ただ、何故なのだろう。なんだかモヤモヤ・健やかに晴れない気持ちが残った。何かに違和感を感じている自分がいた。
そう言えば、こないだ菊川怜さんが結婚されたのを、とくダネ!で「祝・脱独身」と垂れ幕を用意されて祝福されたのを「ハラスメント」だと避難する声が上がっていた。
「菊川怜結婚」というトレンドをタップしたら、とくダネ!で「㊗️脱・独身」というくす玉の前で花束を渡されている菊川さんの画像が出てきて泣きたくなった。感動じゃないよ。「独身から脱出したこと」を祝うハラスメントを朝8時からテレビでやってることが情けなくて。
菊川怜さん結婚の発表で、テレビが「祝 脱独身」って垂れ幕掲げてんのホント頭おかしいな。 ①自らシングルを選んだ人 ②結婚の機会に恵まれない人 ③独身期間が長かった人 ④何らかの理由で配偶者を失った人 …この種の人生全部否定してんだぞ。 公共の電波で公開セクハラしながら。
そしてこちらも記憶に新しいなか「祝・脱独身」の垂れ幕な…30年前かと 【生涯未婚率】男性23%、女性14%に急上昇 「皆が結婚する社会こそ異常」と指摘する専門家も | The Huffington Post https://t.co/dGDGC2c6F8
他にも、こんな記事を読んだ。
この記事の中でも、
しかし、結婚は今や「誰もが見ているドラマ」ではなくなってしまった。
性的嗜好は人それぞれだという認識も少しずつ広がっているし、結婚しても、子供を作る人作らない人、夫婦で同居する人しない人、と形態は様々。ひと昔前までは相手のプライベートに踏み込むには良いとっかかりだったのかもしれないけれど、生き方が細分化・多様化している昨今、ベストな話題ではないのは明らかである。
と言ったようなことが書かれている。本当に、結婚とはしてもいいもの、しなくてもいいもの、という価値観が根付いてきたのだと思う。
色々、斜め読みして見ると、どうやら私が感じたモヤモヤの正体がつかめてきたような気がする。その正体は「一貫して女性目線で語られる結婚観」である。
結婚は誰のものか?

まず、ゼクシィのCMであるが、もちろん雑誌媒体のターゲットが女性であるので当たり前なのだが、
「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです。」
という言葉は、女性の口から発せられたものであろうことがイメージできる。(もちろん、ゲイの男性が交際相手に言うこともなくはないが、一般的な解釈として)
このキャッチコピーは明らかに女性目線で語られている。
次に、「祝・脱独身」のニュースの問題と指摘されている、「独身」を否定するようなハラスメント感じる、と言う意見だが、これもおそらく女性目線の意見である。
男性は「まだ独身なの?」と上司に言われても、ハラスメントだろ、感じるほどのダメージを受ける印象は一般的にはない。
念のため、釘を刺しておくが、独身を否定することがハラスメントにならない、と言いたい訳ではない。ここで言いたいことは、文脈的に「女性の立場に立って」語られていることが多い、ということを感じている、というあくまで個人的な私感である。
最後の記事に書かれていることも、「女性が男性(おじさん)たちから言われた」ことについてのオピニオンである。
ここに私が感じた違和感の正体がある。
それは
結婚観を語るときに、明らかに男性の立場の意見の存在感が薄いということだ。
確かに、過去の価値観として「女性は結婚してなんぼ」的なものを強要されてきた背景があるのだから、その反動で女性目線の声が大きくなるのは自然である。
しかし、そこに
もう一人がいない
のだ。
「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです。」
その「あなた」の存在をこのコピーからは感じない。一方的である。
菊川怜さんの「祝・脱独身」も、菊川怜さんにしかスポットが当たっていない。
小野美由紀さんの記事もそうだ。発せられているメッセージは「個人」の意見である。
私がかつて、「結婚」というものに関して、なるほどと思ったキャッチコピーがティファニーのものだ。
ひとりで生きていけるふたりが、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う
そうなのだ、男性が、女性が、という垣根を超えて、「二人が」一緒になるのが結婚だと思うし、そこに価値を個人的には感じる。(たとえ一夫多妻制だとしても)
私がこのコピーが好きなのが、そこに当事者が全員いるところだ。誰かの個人的なメッセージではなく、当事者全員のイメージできるメッセージ。結婚は一人のものではなく、当事者たちのものであるべきだと思う。
そういったものを内包できて初めて、多様性とかダイバーシティとかって言っていいのではないかだろうか。
まぁ、それが簡単にできたら誰も苦労しないのだけどね。