「足るを知る」って言葉あるじゃないですか。僕、この言葉の使われ方に違和感を覚えるんです。一般的には『身分相応に満足することを知る』といった意味合いで使われることが多いのですが、実は違うんじゃないかと思うのです。
足るを知るの由来とは?

「足るを知る」という言葉は『老子』の中の
知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強。
知足者富、強行者有志。不失其所者久。 死而不亡者壽。
の「知足者富」に由来しています。この言葉を僕なり訳すると、
『人のことをよく理解するには知恵が必要であり、自分のことを理解するには智慧(知恵以上のもの)が必要である。
人に勝つことができる人は力をもち、自分に勝つことができる人は強さを持っている。
自分は何を持っているのかを知ることが真の豊かさである。不断の努力をできる人は志を持っている人である。
本来の自分らしさを見失わない人は長きに渡って栄え、たとえ死んでも、その志は亡びないことを知っている人こそ、本当の長寿なのだ』という解釈になります。
足るを知るの本来の意味とは?
以上の文章の前後関係から言っても、老師が「身の程をわきまえろ」という意味でこの言葉を言ったとは思えません。前の「人→自分」という文章の構成からも、「人よりも自分」すなわち「外より内側」を見つめろ、というメッセージになっているように思えてならないのです。
そう思った時に「知足者富」というものも、「外より内側」で考えた時に、「外」すなわち「収入・地位・財産」といった外的なステータスではなく、「内」すなわち「命・志・思想」など自分の内側にどれだけ素晴らしいものが備わっているのかを理解しろ、という解釈をするのが妥当ではないかと思うのです。
物があふれ、満ち足りた時代だからこそ、「足るを知る」心、またそれを感謝する心をもう一度見直す時期がきているように思います。(『生き方』(稲盛 和夫 著) より)
稲盛和夫さんが本の中でもおっしゃているように、自分がどういう状態であっても、外的なステータスではなく、内的に持っているものの価値(=究極的には今、命があるということ)に感謝をする、ということが足るを知るということなのではないかと思います。
足るを知るということは感謝の心を持つということ
そう思うと、『身分相応に満足することを知る』という使われ方は正しくないなとやはり思います。しかも今自分の人生に満足できてない人が、さらにいろんなものを手に入れようとチャレンジする気概を持ってるのに、「足るを知ることが大事だよ」と言われて、シュンとなってしまう方が問題です。
お金が欲しい人も、もうすでに持っている人も、外的な状態に惑わされることなく、「自分は自分のままでとっても価値があり、この命を授かっていること自体への満足を知る」ということが、足るを知るの本質なのではないかと思うのです。