【1.5万字】僕は恋愛工学で「愛」が得られないことを証明しようと思う

【1.5万字】僕は恋愛工学で「愛」が得られないことを証明しようと思う

恋愛工学。

きっとこの言葉を知っている人の過半数は、どちらかというと「キモイ」という印象を持っていることでしょう。
そしてそうではない残りの人たちは、「人生を変えるキッカケをくれた」という印象を持っていることでしょう。

ちなみに僕は、

非モテから脱したいなら学んでみてもいいが
そのさきに幸せはない

という印象を持っています。

この記事は色々な角度から恋愛工学というものについて紐解き、僕がそのような印象を持つに至った経緯について述べたいと思います。

「恋愛工学はキモイ」と思っている人にとっては、おそらく今までとは違う恋愛工学の一面が見せられるだろうと思います。

一方で「恋愛工学万歳!」と思っている人にとっては、あまり気持ちのいい内容ではないので、今のうちにこの記事から離脱することをオススメしておきます。

恋愛工学とは何か?基本理論のおさらい

恋愛工学の基本理論

れんあい-こうがく【恋愛工学】{名}進化生物学や心理学の研究成果、金融工学のフレームワークを使って、恋愛を科学の域にまで高めたもの

ー『恋愛工学の教科書 科学的に証明された恋愛の理論(総合法令出版)』(ゴッホ 著)の帯より引用

恋愛工学は、ブロガーの藤沢数希さんが自身のメルマガで唱え始めた恋愛理論です。

と、いうことを知っている人は多いと思うのですが、その具体的な中身はよく分からないという人が多いのではないでしょうか。

その辺のブログやTwitterを読み漁っただけでは、「トモダチ◯コ」や「セックストリガー理論」などの強烈な単語のことしかわからないですしね。

そこでまず、恋愛工学で説かれている理論のおさらいをしておきましょう。

セックストリガー仮説

まずは恋愛工学は「セックストリガー仮説」が全ての理論の根幹となっています。

ここに恋愛工学の全ての価値観が集約されていると言っても過言ではないですし、ここを理解しておくと後述する恋愛工学の問題点の理解も深まるはずです。

難しいことはありません。とどのつまり「女の子はエッチした人を好きになる」という主張です。この主張を完璧に否定できる人はあまりいないですよね。(わたしは違う、という人はいると思いますがあくまで一般的な話で)

これは「認知的不協和の解消」という心理作用から説明できます。

女性は好きでもない男性との性交渉を持つと、「わたしはビッチではない→なのにワンナイトをしてしまった→ということは彼のことを好きだったってこと?→そうに違いない→好きだ」という思考回路が動き出します。

「ビッチでもないのに、好きでもない人とエッチをするわけがない」という思いが、「好きな人とエッチしたんだ」という歪んだ思考を生み出してしまうのです。

認知的不協和の解消の力は非常に強力で「そうしようと思わないぞ」と思ってもほぼ無意識でやってしまうものであり、その時点では「この感覚は認知的不協和の解消だ!」と自覚することができません。

多くの恋愛コラムニストが、「都合のいい女にならないようにするためには付き合う前のセックスを許すな」と警鐘を鳴らすのもこのためです。

恋愛工学では、この認知的不協和の解消の心理を逆手に取り(?)、「セックスをすること」をゴールに置いています。女性の「好き」のスイッチはそこからしか入らないとさえ思っているような印象も受けます。

ここまで読んで「んなわけないだろうバカ」と思ったあなたは恋愛工学生には捕まらない人なのでしょう。

しかし、それに納得してしまう人種がいる。それが『非モテコミット』してきた男たちです。

非モテコミット×フレンドシップ戦略は最悪の組み合わせ?

恋愛工学では、特定の女性とセックスするまでの期間を「プレセックスピリオド」、そのあとの期間を「ポストセックスピリオド」と呼んでいます。(つまりは「ヤル前」と「ヤッた後」のこと)

このヤル前の段階で、「非モテコミット」をし「フレンドシップ戦略」を取ると失敗が約束されている、と恋愛工学は説きます。

フレンドシップ戦略とは、友達から仲良くなって徐々に関係を深め、好きになってもらい、告白をして彼女になってもらう、というアプローチのことを言います。

そして非モテコミットとは、女性に好かれるために誠心誠意優しくし、誠実な対応を心がけ、君しかいないんだと必死にアプローチしようとする精神性のことを指します。

藤沢数希さんはメルマガで次のように語っています。

この非モテコミット×フレンドシップ戦略の組み合わせは、数ある恋愛戦略のなかでも、明らかに最悪のものだと思う。(中略)そして、驚くことに、多くの男はこれ以外の恋愛戦略を知らない。

ー『週刊金融日記』第80号「なぜラブストーリーは全て非モテコミット×フレンドシップ戦略なのだろうか?」より

世の中の恋愛物語が非モテコミット×フレンドシップ戦略で語られているために、その通りに女性にアプローチしてしまった男性たちは、ことごとく無残な結果になってしまっている、というわけです。

ここで過去に同じような体験をした人は、「あ!俺は非モテコミットをしていたんだ!」と気づき、そして次の方程式を突きつけられるのです。

モテ=試行回数×ヒットレシオという方程式

モテ=思考回数×ヒットレシオ

このモテの定義はセックストリガーと対をなす恋愛工学の根幹でもあります。

女性にモテるためには、とにかくたくさんの人にアプローチをかけて(試行回数)、その確率(ヒットレシオ)を高めよう!という主張がこの方程式には込められています。

そしてこの方程式を正当性を裏付けるのが、「Good Genes」と「Good Dad」、という考え方と、グッピー理論(モテていることでモテる)という考え方です。

  • 女性は本能的に「Good Genes」つまり、オスとしての優秀な遺伝子を求めている
  • そしてそれはプレセックスピリオドにおいて顕著である
  • 女性はその「Good Genes」の見極めるために、「他の異性からモテているかどうか」で判断する

というのが大まかな理論です。これをリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』という本で紹介されていたグッピーの水槽の実験で説明します。

ヒレがみすぼらしいブサメンのオスをイケメンのオスと一緒に水槽に入れて、そこにメスを放すと、メスはイケメンのオスの方に行こうとします。

でもブサメンのオスと他のメスとを交尾させて、それをメスに見せつけると、交尾できてないイケメンより、目の前で後尾に成功しているブサメンの方に寄っていくんです。それは人間界でも当てはまりますね。常に女性の匂いが付いている男はモテますから。

ー「結局、モテるかどうかは「ひとこと」が言えるかどうか 作家・藤沢数希から恋愛工学を学ぶ – 土屋礼央のじっくり聞くと」より

要するに、

  1. 女性は他の異性からモテている男性を「Good Genes」とみなす
  2. ということは、「モテている」という事実を作らねばならない
  3. 女性から好かれモテるためにはセックストリガーを引く必要がある
  4. そのためにすべきことは試行回数を増やし、ヒットレシオを高めること
  5. そうして女性の好意を獲得していくことでモテがモテを呼び
  6. モテスパイラルを駆け上がっていくことができるのだ!

というロジックになっている、というわけですね。

非モテ男子の頭の中身

非モテコミットしてしまう非モテ男性

この一見筋の通った理論に、フレンドシップ戦略を取ってきた非モテ男子は膝を打つわけです。

「そうか!だから僕はモテなかったんだ!」(アハ体験)

僕はそんな非モテ男子をバカにすることはできません。なぜなら僕にも思い当たる節があるからです。

僕は中高を男子校で過ごしたため、ちゃんと人のことが好きになったのは、大学生になってからでした。
そして大学一年生の時に惚れた女の子に思いっきりフレンドシップ戦略を取ったのです。

当時の僕の頭の中身はこんな具合です。

「彼女とは一度二人きりで遊びにも行っている。そして今でも週に1回ぐらいのペースで電話もする。しかもその電話は時には2時間にも及ぶことだってある。構内でも彼女に僕を嫌っているそぶりは一切見えない。これはイケる!!」

そして告白してあえなく撃沈しました。当時の僕には青天の霹靂でした。まさかフラれるなんて思ってもみなかったから。
しかし僕のその子に対するこの態度は恋愛工学的に言えば非モテコミットそのものなのです。

もし僕が、その当時の失意の中で恋愛工学に出会っていたら、

「そうか!だから僕はモテなかったんだ!」(アハ体験)

と感じたかもしれません。きっと恋愛工学にハマった人のほとんどがこのアハ体験をしてしまった人なのではないかと思います。

そしてその気づきが大きければ大きいほどに、つまり、過去の恋愛において報われないことが多ければ多いほどに、それが逆側に振れてしまい全てを「セックスができるかどうか」で考えるようになっていってしまうのです。

これが僕の見た恋愛工学であり、この理論が内包する危険性を紐解く上ではとても重要な視点になってきます。

恋愛工学が危険だと言われてしまう理由

恋愛工学の源流

そもそも恋愛工学は、アメリカでベストセラーになったナンパ師のノンフィクション本『ザ・ゲーム』で書かれていることが元になって(いると指摘されて)います。

僕もこの記事を書くにあたって『恋愛工学の教科書』『僕は愛を証明しようと思う』『ザ・ゲーム』を読みましたが、恋愛工学は『ザ・ゲーム』に書かれていることを日本版にアレンジしたものだと言っていいと思います。(藤沢さんがどう主張されているかは知りません)

アメリカのナンパ師は、ピックアップアーティスト(略してPUA)と呼ばれており、『ザ・ゲーム』の著者であるニール・ストラウスはPUA界で名を馳せた人物でもあります。さて、このPUA、実は最近全く違う角度でニュースになっています。

凶悪犯罪続発!アメリカを蝕む「非モテの過激化」という大問題〜テロにも発展。その名は「インセル」〜

記事の概要を簡単にお伝えすると、PUAのコミュニティから派生した、インセルと名乗る(Involuntary celibate、略してINCEL)男性たちのうちの一人が、レンタカーを使って女性に対して無差別テロを行った、という話です。

インセルが関わった事件はこの事件の他にも

2014年5月にカリフォルニア州で起こった大量殺人、2015年10月にオレゴン州の短大で、26歳の学生が9人を殺害したあげく自殺した事件、2017年12月にニューメキシコ州の高校で2人が殺され、犯人も自殺した事件、2018年2月にフロリダ州の高校での17人が殺害された銃乱射事件(Wikipediaより)

などがあります。なんとも穏やかではない話です。

インセルは「不本意な禁欲主義者」と訳されるのですが、「自分が望んでいるにも関わらず、恋愛がうまくいかず性的な経験が持てない原因は相手側にある」と主張する人たちのことです。

要は「俺が非モテなのは俺が悪いんじゃなくて女が悪いんだ」と思っている人たちのことです。

インセルの掲示板への書き込み内容はかなり過激的で、

より過激なインセルが集う掲示板「Incels.me」では、1年間に1万件以上の投稿がある。ここでは「魅力的でない男性がセックスする”権利”が否定された」という理由で、女性への暴力を正当化する投稿が定期的に見られる

ー DIAMOND ONLINE「女性を憎悪するモテない男たち「インセル」の果てしない心の闇」より

こともあり、こういう危険思想がテロとか無差別殺人などの犯罪につながっていったようです。

ところで、日本においては千葉大学の学生によるレイプ事件があり、大きな波紋を呼びました。

「仲間の間で女性をモノ、性の対象として見て人格を蔑んでいる考え方が根本的にあったと思う。大学に入学してサークルなどで他大学の子と接して、彼女らはアタマが悪いからとか、バカにして、いやらしい目でばっか見るようになり……という、男たちの中でそういう考え方が形成されてきたように思います」

ー現代ビジネス「【千葉大医学部レイプ事件】23歳犯人たちの「華麗すぎる家柄」」より

この事件は週刊文春が「犯人は恋愛工学の”影響を受けた”と供述した」と報じたため、恋愛工学生の危うさが取り上げられた事件でもありました。

ただし、これに関する藤沢さんの反論記事を読む限りは、そこと恋愛工学を結びつけるのは短絡的すぎるんじゃないか?と思うところもあります。

加えて今年、「リアルナンパアカデミー」というナンパ塾の生徒と塾長がレイプ容疑で逮捕されたことも話題になりました。

 『リアルナンパアカデミー』のHPからは、リアルタイムで性交の数を競う企画が行われていたことがわかる。月間20人と性交した塾生を祝福する言葉や、「数が足りない」と嘆く塾生の言葉も掲載されている。一カ月に何人の女性と性交できるかは、彼らにとってステータスと化していたのだろう。

ーWezzy「『リアルナンパアカデミー』の塾長逮捕 その卑劣な手口とは」より

どれも目を覆いたくなるほど悲惨な事件です。

これらの一連の事件に共通していることは何かと言うと

女性蔑視(ミソジニー)の思想

です。ミソジニーにはいろんな側面があるので一概には定義できないのですが、

  • 女性をモノとして扱う
  • セックスの回数や人数がステータスになる

といったあたりが男性のミソジニーに共通した価値観としてあります。そして恋愛工学にもこの価値観が反映されていると僕個人としては思います。

恋愛工学が度々批判の矢面に立たされるのも、こういった「女性を一人の人間として見ていない(ように見える)」部分が少なからずあるためでしょう。

恋愛工学生は極めて真面目である?

ここまで読まれたあなたはさぞ「恋愛工学っていうのは本当にとんでもねぇな」と思ったかもしれません。

しかし、「そうとは言い切れないかもしれない」と釘を刺しておきたいと思います。

恋愛工学もインセルも元々はPUAというコミュニティから派生したという点においては同じですが、それで「全ての恋愛工学生が非人道的で差別的である」と結論づけるのはさすがに極論すぎます。

これは、僕がこの記事を書くにあたって呟いたツイートなのですが、

ここついた恋愛工学生と思われる方からのコメントが非常に印象的なものでした。

この方とは、このツイートをした時にも二、三回絡ませてもらいました。

僕のその時に印象は「至って普通の人」というものでした。

そのほか恋愛工学界隈で大きな影響力を持った、ゴッホさんやサウザーさんのVoicy、ヒデヨシさんのブログなどを読んでいる限りは、とても冷静で落ち着いた頭のいい人たちなんだろうなぁという印象です。

決して、インセルのような非人道的で差別的な人ではありません。

「モテる男たちが何をやっていて、俺たちには何が足りないんだ!?」ということを研究し、自分を変えたいと思っている愚直な人たちなのだと個人的には思っています。

それでも「恋愛工学キモチワルイww」と思われてしまうのは、恋愛工学の宗教的な側面がそうさせるのかもしれません。

恋愛工学はとても優秀な宗教である

優秀な宗教の特徴

見出しのつけ方が不躾だと感じる方もいると思いますが、この点に関しては僕は恋愛工学の仕組みを尊敬しています。

オンラインサロンなどもそうですが、今や多くのビジネスモデルが宗教化してきており、優れたビジネスモデルと優れた宗教は隣り合わせになっていることも多いのです。

では、恋愛工学のどこがそんなに優れているのか?それを紐解くヒントは、『完全教祖マニュアル』という本にありました。

この本は『これから宗教を作りたいと思っている人に対して、どうすればいい宗教が作れるかをレクチャーする』という体裁を取りながら、宗教の歴史や成り立ち・派閥同士(〜派とか〜宗とか)の対立を皮肉たっぷりに教えてくれる名著です。

この本には、宗教が広まるための条件として

  • 反社会的な哲学がある
  • それにより弱者が救われる
  • 科学的な体裁をとっている
  • インテリ層が布教を手伝ってくれる

ということが挙げられています。

社会の提示する価値基準では「負け組」となってしまう人が必ず存在します。そこであなたがすべきことは、社会に反する新しい価値基準を提唱し、「負け組」の人を「勝ち組」へと変えてハッピーにすることなのです。

ー『完全教祖マニュアル (ちくま新書)』(架神恭介, 辰巳一世 著) より

恋愛工学の素晴らしさは、まさにこの「負け組」の人を「勝ち組」に変えたところにあります。

宗教要素その1:非モテという「負け組」を救った

現代の社会基準において、恋愛経験が乏しいことは「負け組」のレッテルを感じやすいステータスです。

長い視点で考えれば一切そんなことはないのですが、アイデンティティが形成される学生時代は、思いっきりこの「非モテ=負け組」のロジックに支配されています。

それは男性だけではありません。学生時代のスクールカーストを思い出して欲しいのですが、男性も女性も、あそこに漂う選民思想の根本は「モテているかどうか」にあったはずです。

恋愛工学という宗教は、その負け組だった「非モテ」たちに、恋愛工学という「モテるための哲学」をわたし、実際に彼らを救ったのです。

宗教要素その2:反社会的であるからこそ成功した

アンチ恋愛工学の人たちは「あんなもの哲学ではない!」と思うことでしょう。

コラムニストの勝部元気さんは、

表現の自由を超えて、性暴力教唆であると見なしても良いのではないでしょうか?

ーエキサイトニュース『「恋愛工学」に危機感を持つべきだ 大学生を性暴力に走らせ得る』より

と書かれていましたが、現代の社会規範からすれば恋愛工学のロジックは『セックスがゴール』になっている時点で、極めて反社会的な哲学だと僕も思います。

しかし、そこが宗教を宗教たらしめる所以です。ブッダもイエス・キリストも、当時の社会規範を逸脱しまくった人たちであり、だからこそ信者を獲得したと言えます。

宗教要素その3:科学だと思い込ませた

そして恋愛工学が非モテ男子たちに歓迎された理由のもう一つが、「あくまでも科学的な体裁をなしている」ことにあります。

あなたが現在において新興宗教を作るなら、最も適切な手段は「科学的体裁を取ること」です。信じるとか信じないとかいうレベルではありません。あなたのいうことを信じるのが「当たり前だ」と思わせるのです。

ー『完全教祖マニュアル (ちくま新書)』(架神恭介, 辰巳一世 著) より

さて、もう一度ここで恋愛工学の定義を思い出してみてください。

れんあい-こうがく【恋愛工学】{名}進化生物学や心理学の研究成果、金融工学のフレームワークを使って、恋愛を科学の域にまで高めたもの

ー『恋愛工学の教科書 科学的に証明された恋愛の理論(総合法令出版)』(ゴッホ 著)の帯より

でしたよね?そう、恋愛工学は「科学だったから」うまくいったわけです。

ちなみに個人的には恋愛工学は一部心理学を取り入れたメソッドがあるものの、決して科学的であるとは言い難いと考えています。

なぜならその中心をなすセックストリガー仮説が、「原始時代からの進化の過程を考えると、セックスをした相手を好きになった方が生き残りやすかった」という主張に基づいているからです。

当時はセックス→妊娠の因果関係が紐づいていませんでした。セックスと妊娠が紐づいていないため、子供が生まれた理由はわかりません。生まれた子供を育てるときに、セックスをした男を好きになっていると、自分の子供をその男に育ててもらえる可能性が高くなります。これは原始の世界を生きる女にとっては、大きなメリットでした。

ー『恋愛工学の教科書 科学的に証明された恋愛の理論(総合法令出版)』(ゴッホ 著)より

これは科学でもなんでもなく、ただの「予想」です。

仮に原始の時代の女性がそうなると都合が良かったとしても、現代に生きる女性からしたら「知らんがな」で一蹴されておしまいです。

恋愛工学に限らず、恋愛理論の多くは「石器時代の男女脳」を根拠にいろんな理論をぶち上げますが、今の所『男女の脳の違いは極めて限定的でほとんど差がない』ということがわかっています。(参考:ナショナル・ジオグラフィック「第5回 「男脳」「女脳」のウソはなぜ、どのように拡散するのか」)

また人が人を好きになる仕組みもほとんど解明されていません。いまのところ判明しているのは、人間は免疫型の異なる人の発する匂い(フェロモン)を好む傾向にある、ということぐらいです。

それを「女の子はセックスすると好きになるんだぜ」という暴論で片付けるのは、世界中の科学者に対してあまりにも失礼だと思います。

ただ、宗教はどんなに周りがエセ科学だと批判しても効果がありません。どんなにエセ科学だろうと、水素水は売れるし、HPVワクチンは悪者にされるのです。

大事なのは、あくまでも「科学的っぽい」ことです。民間人はその科学っぽさの正当性なんぞ気にも留めないのですから。

宗教要素その4:インテリ層の獲得に成功した

宗教の役割として「新しい真理」の創出と、その前提の上に成り立つ「問題の指摘」があります。

仏教で言えば真理は「輪廻転生」、問題の指摘は「前世から続く業による不幸」などが該当するでしょうか。

つまり仏教は「輪廻転生」という真理をぶち上げて、「今お前が不幸なのは偶然ではなく、先祖の徳が積まれてこなかったからなんだぜ」という問題を指摘し、「だから今世で徳を積んで極楽浄土に行こうよ」と提唱したわけです。

恋愛工学もこれと全く同じ構造になっています。

「セックストリガー仮説」という真理をぶち上げて、「今お前がモテないのは偶然ではなく、セックストリガーを知らずに非モテコミットしてるからなんだぜ」という問題を指摘し、「だから恋愛工学を使って女の子とセックスしようよ」と提唱したのです。

んなムチャクチャな理論に誰がついてくるんだ?と思うかもしれませんが、ここで力を貸してくれるのがインテリ層の存在です。

インテリ層の獲得に成功すると、論理破綻しているような哲学であっても、それをインテリ層が勝手に拡大解釈してくれて、一般の人でもわかりやすいように行間を埋めてくれるのです。

少し長いですが、これまた『完全教祖マニュアル』から、インテリと宗教の関係についての興味深い記述を引用したいと思います。

中には「前提」と「問題点」だけを見てピンと来て、「そうか、こいつの言ってることはこれこれこういうことか!こいつスゲーな!」と、勝手に「前提」と「問題点」を論理的思考により繫げ、感心してくれるインテリも現れるでしょう。ここで「前提」と「問題点」を繫げることになった論理的思考、これがすなわち「哲学」です。

インテリからすれば、あなたの提示する「前提」さえ受け入れるなら、これまで答えの出なかった社会的問題や人生の問題に論理的な答えが出せてしまうのです。となれば、もう「前提」を受け入れてしまいたくなる。そして、この「前提」を受け入れることは、すなわち「信仰」です。こうしてインテリはあなたの教えを信仰し、また、論理的発展性に貢献してくれるのです。

キリスト教神学だって、最初の頃は「はじめに言葉があった」という文章を見たインテリが、「言葉……ギリシャ語で言えばロゴス……。はっ!つまり、ギリシャ哲学で考えるとこういうことか!深いな、キリスト教!」という具合で聖書解釈学が勝手に発展していったのです。

ー『完全教祖マニュアル (ちくま新書)』(架神恭介, 辰巳一世 著) より

僕がこの記述を見てまさに!と思ったのが、『僕は愛を証明しようと思う。』のAmazonレビューに寄せられたサウザーさんのレビューです。

恋愛工学のコミュニティにおいては、恋愛工学で教えられているメソッドがどれだけ正しいか、あるいはより改善するためにどうすればいいのかを投稿し評価し合う文化があるようです。

それを「論文」と呼ぶのだそうですが、その論文は「所長」である藤沢数希さんの元に送られ、優秀な論文はメルマガに乗せられて、全恋愛工学生の元に届けられます。

この論文掲載の仕組みもとても「科学的」ですし、何より論理的な思考の得意なインテリ層の活躍の場所を与えたという点で、非常に優れた仕組みであると言わざるを得ないでしょう。

恋愛工学は自己成長欲求を刺激する

自己啓発のイメージ

さて、ここまではどちらかというと恋愛工学の負の面を紹介してきましたが、今度は功罪の功について取り上げたいと思います。

恋愛工学(やその他のナンパ術)が多くの男性を魅了できたのは、克己心を刺激したからです。克己心とはすなわち、己の弱い心に打ち勝とうとする姿勢、マインドのことです。

クラブや社交の場で美女に話しかけること、ストリートで道ゆく女性に声をかけること、これらの行動には相当強いメンタルを要求されます。

これは「人から見られている自分」を気にしてビビっているからに他ならないわけですが、ナンパはこのビビってる自分を克服するためにうってつけの実践教材となるわけです。

どんなに見た目を整えても、どんなにオープン(会話を始めるためのテクニック)を学んでも、いざ話しかけようとすると声がでず、その場に立ちすくんでしまう。最初はそんな己の弱さに愕然としてしまいます。

しかし、先輩たちは違います。そんな非モテたちを置き去りにして、ナチュラルに美女に声をかけあっさりと連絡先を聞いてくるのです。

そんな先輩たちを見て、「うおー!〇〇さん、まじリスペクト」と思うわけです。そして「俺もこの弱い自分に打ち勝ちたい!ダサい自分を卒業したい!」と願うのです。

見た目を整え、筋トレをして、会話力を身につけ、それによって得た「結果」は、本人の自信にも繋がっていきます。

恋愛工学に出会えたおかげで人生が変わった、という人がいるのもこのためです。

藤沢数希さんの『僕は愛を証明しようと思う。』では、不倫相手に「セクハラ」だとチクられて、会社をやめさせられることになった主人公の渡辺正樹が、「愛を証明したいと思った」女性、直子に話しかけるこんなセリフがあります。

「それで、僕はわかったんだ。今まで僕を打ちのめしてくれた人たちや出来事は、大切な人生の教科書だったんだ。神様が、次はどうすればいいか、教えてくれていたんだよ。でも、彼と出会うまでの僕は、恥をかかないように、できない理由をたくさん並べて、挑戦しなかった。そうやってチャンスを逃すたびに、一人損をするのは僕自身なのに、自分の人生をよくするために、僕は戦わないといけなかったんだよ。僕をずっと成功から遠ざけてきた、間違った考え方や悪い習慣とね」

ー「僕は愛を証明しようと思う。(幻冬舎文庫)」(藤沢数希 著)より

何かをきっかけに人生を変えた感覚のある人なら、この文章には「あぁ、わかるなぁその気持ち」と肯きたくなります。

さらに恋愛工学ではこの自己啓発的な側面に、女性をいかにしてGETするか?というゲーム性が掛け合わせされているために、より男性たちの成長欲求を刺激します。

僕は営業を通じて似たような体験をしてきたことがあるので、この気持ちはわからないでもありません。

見た目を整えることで相手の反応は間違いなく変わりますし、恋愛工学で勧められているACSモデル(人を魅了していく順序のようなもの)は、営業のヒアリングから提案までの流れと似ている部分があります。

ですがだからこそ「恋愛工学じゃなくてもその自信は手に入れられるんだけどなぁ」と思ってしまうのです。

僕が恋愛工学をオススメしない理由

さて、かなり遠回りしましたが、改めて僕の恋愛工学についての見解を述べさせてください。

非モテから脱したいなら学んでみてもいいが
そのさきに幸せはない

僕がこう考える理由は、やはり、セックストリガー重視の考え方に賛同できないからです。

確かに認知的不協和解消の心理によって、セックスをキッカケに女性がその相手のことを好きになることはあるとは思います。

しかしそれではどこまでいってもセックスに至るまでのノウハウでしかなく、お付き合いが始まってからのコミュニケーション能力が高まるものではありません。

PUAのカリスマでもあったニール・ストラウスが、その”ゲーム”の先に出会った最愛の人の親友とセックスをしてしまい、最終的に精神まで病んでしまったことが、それを見事に証明しているような気がしてならないからです。

10年前、女性を口説き落とすテクニックを解説して世界的ベストセラーとなった『ザ・ゲーム』。著者ニール・ストラウスはその後、乱れきった生活の中で自分をコントロールできなくなり、地獄の日々を送っていた──。

ーCOURRIER JAPON『ベストセラー作家が告白「セックス中毒とうつで苦しんでいた、あの頃の僕」』より

確かに、先述の恋愛工学生のツイートにあったように、恋愛工学や数々のナンパ術が「モテてる奴が何をしているのかを解剖した」ことに関しては功績があるとは思います。

実際にそれでたくさんの女性と交際を持てた男性がいたことも事実でしょうし、それを否定することはできません。

でも、非モテ男子が本当に求めていたものって、Sランク美女を両手に抱えることなんでしょうか?
ただ単に、彼女がほしい、自分に性的魅力を感じてほしい、異性に必要とされたい、そんな純粋な動機だったのではないでしょうか?

その心に空いた穴は恋愛工学じゃなければ埋められなかったのでしょうか?

そして、『ザ・ゲーム』も『僕は愛を証明しようと思う。』も、その主人公がどちらも「何もかも失い、真実の愛に気づいた」のはどうしてなのでしょうか?

それはやはり「女性とのセックスの回数を追い求めること」が、非モテ男性の心を本当の意味で埋めることにはならないから、なのではないでしょうか?

もしそうなのだとしたら、わざわざ何もかも失うリスクを犯してまで恋愛工学を学ぶ必要があるとは、僕には思えないのです。

なお、『僕は愛を証明しようと思う。』では、実際に愛を証明しようと”思う”ところまでしか描かれていないため、そのあとの主人公がどうなったのかは読者の想像にゆだねられています。(ニール・ストラウスのようにならないことを願うばかりです)

恋愛工学だけを批判するのはおかしい

恋愛工学と港区女子の共通点

アンチ恋愛工学の人は、そろそろ「やはり恋愛工学を駆逐されるべきだ」と思っていることでしょう。

しかし僕は恋愛工学「だけ」を批判することには賛成しません。

僕たちが真に批判しなくてはいけないのは、恋愛工学を普及させた影の立役者でもある、この社会に蔓延する「モテる」ことを”美点”だと評価する風潮です。

恋愛工学生と港区女子との共通点

僕が恋愛工学生と同じくらい「やめておけ」と言いたいのは、港区女子の活動です。

「一緒にするな」と怒られると思いますが、恋愛工学生と港区女子は僕には同じ人種に見えます。

どちらも「承認欲求を”モテている”というステータスに依存している」という点においてとてもよく似ているのです。

その実態は「いかに他人に羨ましがられ、他人より上に立つか」「いかに美しさと金を交換できるか」というルールのみが通用する暗黒舞踏会デスマッチです。

ー『なぜ幸せな恋愛・結婚につながらないのか 18の妖怪女子ウォッチ (文春e-book)』(ぱぷりこ 著) より

港区女子とまではいかないまでも、恋愛工学生たちと同じように「彼氏がほしい、自分に性的魅力を感じてほしい、異性に必要とされたい」という動機で、行きずりのセックスをしてしまう女性もたくさんいますよね。

恋愛工学生のテクニックをみていると、そのテクニックを心地よく感じてしまうのはそんな女性たちなのではないかと思います。

逆に自己肯定感の真に高い人は、これらのテクニックが通用しないはずです。彼女らは「モテている男性を好きになる」人たちではないからです。

そう考えると、恋愛工学が「有効だ」と確信されてしまった原因は、自己肯定感の低い女性たちにもあるのとは言えないでしょうか?

もちろん、責任があるとは思いません。繰り返し言いますが、諸悪の根源は「モテることを強要する」この社会です。

社会は「モテること」を強要しすぎている

恋愛工学生にも港区女子にも、そのほかの「モテることに充実感を感じている全ての人」にも一度考えてみてほしいことがあります。

そのモテの先に、本当に幸せはあるの?

元(?)恋愛工学生のヒデヨシさんのブログにはこんなことが書かれています。

モテの螺旋を走り続ける人生は、たしかに楽しい。
めちゃくちゃ楽しい。
新たに出会った子を口説くプロセスには中毒性があります。

しかし、時間も身体も有限なので、誰かと深く長い関係を築くためには、どこかで複数人と関係を持つ女遊びに区切りをつける必要がありそうです。

(中略)

個人的には、非モテコミットできるような人とうまく恋愛できたタイミングで、殺し合いの螺旋から降りるのが、一番幸せなように思います。

ー俺の遺言を聞いてほしい『人生の節々でぶち当たる「モテの壁」』より

最終的に非モテコミットできる人と結ばれることを幸せとするなら、なぜ最初に非モテを否定する道を選ぶ必要性があるのでしょうか。そこまでしてモテたいと思った理由はなんでしょう?

僕は社会に「モテろ」と抑圧されてきたからではないかと思います。

モテないことで惨めな思いをさせられたこのクソッタレな社会に、モテることで抵抗したい。それが恋愛工学生や港区女子の深層心理なのではないでしょうか。

楽しいのはわかります。僕も相手を「攻略」する楽しさを感じたことがないわけではありません。でも僕は「ここに幸せはねぇな」という危機感を抱きました。

男性の皆さん、目の敵にしなくてはいけないのは本当に女性の本音を隠した建前でしょうか?

彼女たちは建前ではなく本当に「誠実な人が好き・優しい人が好き」だと思っているのです。しかし、自己肯定感が低いため、優しくなくても誠実じゃなくても「求めてくれる人を求めてしまう」のです。

女性の皆さん、目の敵にしなくてはいけないのは本当に恋愛工学やナンパ術にハマる男性たちでしょうか?

確かにその理論には胸糞悪くなりますが、女性同士の男ディスり女子会に参加したことがある僕からすると、どちらも似たようなものに思います。

彼らは男子校のノリで「こんな美女とヤッタんだぜ」とキャッキャ盛り上がっているだけです。そしてその根底にあるのは、「モテない」=「ダサいよね」と決めつける社会への抵抗心です。

男性も女性も、男女でいがみ合っていないで、本当の敵である「モテないと幸せになれないよ」と騙そうとするこの社会と戦わなくてはいけないのではないでしょうか?

僕は恋愛工学で「愛」が得られないことを証明しようと思う

モテることと愛することの違い

僕は「愛」は「モテ」とは別のルールで動いていると考えます。

  • モテは一対多のコミュニケーションであり、愛は一対一のコミュニケーションです。
  • モテには優劣がありますが、愛に優劣はありません。
  • モテは「他者評価」ですが、愛は「自己受容」です。
  • モテは「ダメな自分」を許さず、愛は「ダメな自分」を許します。
  • モテなくても幸せにはなれますが、愛がなくては幸せにはなれません。

この二つは、全く別次元にあり、決して交わることはありません。

恋愛工学が「モテること」を至上命題にする限り、その延長上に愛は存在しません。

だから僕はこう主張します。

非モテから脱したいなら学んでみてもいいが
そのさきに幸せはない

記号化された「男女」の枠組みで判断するのではなく、肩書きやステータスにとらわれることなく、一対一の個人と向き合うこと、その先にしか愛はないのだと僕は思うのです。

川口 美樹

俳優業からの独立。現在は執筆・企業研修・ワインのインポート・300人規模のイベント運営などいくつか個人でやっています。子育てする時間も欲しいので、株式投資や不動産の分野も勉強中です。気軽にフォローしてくださいね。