やめ時の怖さを知らない人が多い
『立つ鳥、あとを濁さず』という言葉がありますが、最近あの言葉の重みをすごく感じます。
何かしらのコミュニティー運営や会社の人事等をやっている人はよくわかると思うのですが、人が何か新しいことを始める時、あるいは新しい組織の中に入る時というのは割と覚悟をして入ってくるものですが、多くの人は組織を出るときに覚悟を持って出て行かないものです。
何かを始める時や、新しい環境に入る時と言うのはええカッコしやすいんです。大きなことを言うとそれだけ期待と注目を集められますしね。逆にそういう人に限って、何かを辞める時、ないし別の環境に移る時に、その人間性が全部暴かれてしまう、ということをあまり知らないようです。
Twitterなんかを見ていると、「会社をやめようとしたときに上司に、『そのままやめてもどこ行っても通用しないぞ』と脅されたけど、全然そんなことなかった」と反論しているツイートをたまに見かけます。
そうやって出ていく人を脅すのは論外だと思いますが、もしかしたら「よそへ行っても成長できないぞ」という意味ではなくて、「その辞め方に問題があるぞ」ということを指摘されているというケースもあるんじゃないかなぁと、思う時があります。
その環境で与えてもらったことに目を向けるべき
僕は会社員として働いたことがないのでその辺の事情をよく知りませんが、自分が錯覚だった時もアルバイトをした時も独立してビジネスを持った時も、終え方にはすごく注意を払っていました。
石ノ上にも3年、とりあえずは3年、そんな価値観はもう古いですし、どんどん環境とやるべきことを変えていかないと時代に乗り遅れてしまうというのも確かに真実です。ただしそれはホイホイと環境や自分のやっていることを書いてもいいと言うことではないと思います。
僕自身、今でもやっていることに自信がなくなったり、いっそのこと全部投げ出してきれいさっぱりやめてしまった方がどんなに楽だろうかと思うことが何回もあります。ただその時に思い浮かぶのは、やっぱりその環境で自分のことを育ててくれてた人たちの顔です。
ちなみに英語では『立つ鳥、あとを濁さず』に近いことわざで、こんなイディオムがあるそうです。
Cast no dirt into the well that gives you water.
直訳すると「あなたに水を与えてくれる井戸に、ゴミを捨てるな」という意味になります。僕はこのことわざを「これまであなたに与えられていた恩義を雑に扱うようなことをするな。その恩義を二度と受けられなくなる」という意味だと解釈しています。
変化の時にこそ最新の注意を
変わることは悪いことではありません。今の環境が違うと思ったら飛び出す勇気も必要です。しかしそれ以上にないがしろにしてはいけないものがあります。それは、それまで与えられてきたご恩です。
どんな時代になっても、恩義を通す、人道を外れない、そういったことをきちんとできる人にチャンスは巡ってくるのだと思います。
自分への戒めも兼ねて。