なぜ世間は「好きを仕事にしよう」というのか?
「好きを仕事にする」ブームですね。そりゃ嫌いな仕事をするよりも、好きな仕事をした方がいいに決まっています。本田健さんも、斎藤一人さんも、最近は普通の会社ですら「好きなことを仕事にしよう」といいます。
それに煽られるように新聞・雑誌・本・ウェブメディアなどでも「好きを仕事にしている人たち」の特集が雨後の筍のように出てきます。ではなぜ今になって、「好きを仕事にしよう」というメッセージがこれほどまでに発信されるようになったのでしょうか?
一つは、時代が好きを仕事にするツールをたくさん作ってくれた、というものが挙げられます。冒頭のYouTubeもそうですし、ブログでの発信や、自分の技能をC to C で人に教えられるサイトの存在などは、確かに強い個人を世界へと羽ばたかせました。しかし、強い個人はそんなツールが揃う前の時代から、勝手に自分で色々やっていたと思います。
もう一つ大きな原因として、「歯食いしばって頑張って働いた先に明るい未来がない」という、終身雇用・エリート思考への信用の失墜があると思います。昔は、嫌いな仕事であったとしても日本経済が上向いていたので、頑張れば成果も出ますし、給料も上がって行きました。
しかし、今はそうではありません。長く働いても結果を出さなければリストラに合うし、逆に結果さえ出せばきちんとした報酬が出るような仕組みが整いつつあります。嫌いなことを我慢して身を粉にして働いて給料上がらないなら、好きなことに打ち込んだ方がいいんじゃねぇ?という発想に変わってきた、というわけですね。
要するに、日本経済がどんどん停滞して景気が悪くなっている(*1)から、どうせ稼げない仕事するんだったら、好きな仕事をした方が幸せに生きれるでしょ、っていう考え方に変わってきたというわけですね。
(*1)日本のGDP成長率は、1.54%で、世界ランキングの順位は133位です。
好きを仕事にする上で語られないこと

僕はこれはとても不親切なことだなといつも思うのですが、好きを仕事にしている人たちは、今の仕事がいかに好きか、いかに好きを仕事にすることが素晴らしいかをコンコンと語ってくれますが、その裏でめちゃめちゃ努力していることを喋ってはくれません。
なぜか?本人たちがそれを「努力」だと思ってないからです。好きだから当たり前にやってる、他人から見たらとんでもない努力がその裏には絶対に隠れていて、それをやってるからうまくいっているわけです。
でもそれを教わっていない、これから好きを仕事にしていこうと思う人たちは、「好きなことさえ見つかればなんでも思い通りにいくんだ!」と勘違いしてしまいます。そんなことがまかり通るなら芸能界は売れっ子で溢れかえりますよ。でも現実はそうはならない。そこに「努力の差」があるからです。
好きを仕事にするよりも、仕事を好きになった方がいい

努力を努力と思わないほど没頭できる何かに巡りあえることは幸運なことです。それすら見つからずになくなっていく人も世の中にはたくさんいます。しかし、それが見つかったからといって、それで稼げるか、は全くの別問題です。
好きが仕事になるのは、それが世間のニーズとマッチした時のみです。もう少し突っ込んでいうなら世間のニーズに合うように、自分の好きを変容さられた時のみです。
ディズニーランドが好きな人は、ディズニーがどれだけ好きでも、好きだけで稼ぐことはできません。他のディズニーランドユーザーにとって為になる役立つサービスをしなくてはいけません。
それがヒットするかどうかは正直「やってみないとわからない」ものです。であれば、「人に求められていることを好きになる」ほうが、好きを仕事にできる確率が高まるのではないでしょうか。
じゃぁ、それってどうやったらできるの?という話はまた別の記事で書くことにしますね。