本の原稿をチェックされてみて初めて、校正の偉大さを感じた
世の中には美しい仕事というものが存在します。何を基準にして美しいというかは、その仕事の種類によって違うと思うのですが、この美しい仕事は当然「書き物」の世界にも存在しています。その片鱗を知ることができたのが、校正という作業に向き合った時です。
僕はウェブでのライティングからスタートしているので、紙ベースの原稿を書いたことがありません。それゆえに、校正ないし校閲がどういったものなのか、よくわからないまま原稿を書いていました。いわゆる誤字脱字、主語述語の違和感がないかぐらいのチェックをするぐらいのことしかイメージにありませんでした。
しかし、今回「本を出す」という仕事を通じて、プロの校正のレベルを知り、「ここにも美しい仕事があったのか」と驚かされました。
校正とは、読者へのおもてなしである
美しい仕事に共通していることは「違和感を抱かせない」ということです。そのサービスを受ける人に始めから終わりまで気持ちよくサービスを受けてもらおうと思ったら、「違和感」は全てを台無しにする悪であります。
例えば、楽しみにしていた洋画を映画館で観ていて、字幕にちょっとでも変な和訳が出てるのが気になったとします。そうなると、そのあとそれが気になってしまって作品に集中できない、ということが起こります。
この「ん?」という違和感は、それぐらいの破壊力があるのです。この違和感を生み出すマイナス要素をどれだけ省けるか、それが美しい仕事をする上では必要になってくるわけですが、テキストライティングという仕事においては、それが校正作業に当たるのです。
なぜその指摘が入ったのか?にヒントがある
僕は書き手側ですから、文章を校正される側にいるわけです。校正さんがくれる指摘には「なぜこの言い回しの方がいいのか」「なぜこの箇所はカットするべきなのか」「なぜ面白くないと感じるのか」は含まれていません。ただ、ドライに「〜に変更・削除・もっと面白くなりますか」と書かれているだけです。
書き手である僕たちはその指摘から、「なぜその指摘の通りにする方が読者にとっての違和感を減らすことに繋がるのか」を自分で考える必要があります。
以前、コルクの佐渡島さんが何かのインタビューで、「編集者は読者の代弁者だ」とおっしゃっていましたが、書き手にとっては読者の指摘ほどありがたいものはありません。
その指摘から読者が何を感じているのかを具に見極め、コンテンツに反映しなくてはならないのです。それができるようになると、作品がグッと読者に寄り添った、よりおもてなし度合いの高いものになるのです。