
シュミレーション仮説という面白い考え方がある。
哲学者ニック・ボストロムは、我々がシミュレーションの中に生きているという可能性を追求した[1]。彼の主張を簡単にまとめると次のようになる。
何らかの文明により、人工意識を備えた個体群を含むコンピュータシミュレーションが構築される可能性がある。
そのような文明は、そのようなシミュレーションを(娯楽、研究、その他の目的で)多数、例えば数十億個実行することもあるだろう。
シミュレーション内のシミュレートされた個体は、彼らがシミュレーションの中にいると気づかないだろう。彼らは単に彼らが「実世界」であると思っている世界で日常生活を送っている。
(出典:ウィキペディア)
かのテスラ・モーターズのイーロンマスクは、「私たちが住んでいる社会が基底現実である可能性は、ほとんどないと思います」と語ったそうだ。
事実、私たちの現実では、VRの技術が発達してきており、現実と見紛うほどのバーチャルな世界を再現しようとしている。
現在の人類にその技術が持てたということは、ニック・ボストロムの言うように、高度な文明がこの私たちの住む世界を「プログラミングした」可能性がないと断定するのは難しい。
私たちが生み出したVRの世界でも、その世界の住人がVRの技術を生み出してしまえば、その世界の住人が自分たちがプログラミングされた世界の住人だと思わないように、私たち現実世界(と認識している)の住人もまた、上位の高度な文明にプログラムされていることに気づけないのだ。
また、量子力学の世界からも、シュミレーション仮説を後押しするような現象が発見されている。
二重スリット実験の結果、現代の科学者たちは、私たちの世界を構成する最小単位の素粒子は、「観察者が認識するまでは、波動が収束せずに確率の中に漂っており、観測者が認識した瞬間に物体としての動きに固定される」ことを発見している。
これはまさに、今のオープンワールドのゲームの中の仕組みに似ている。
『ゼルダの伝説のブレスオブザワイルド』や『グランドセフトオート』のようなゲームでは、
主人公がそのMAPに視点を向けるまでは、建物や行き交う人々・動物・車などは作動しておらず、主人公が視点を向けた瞬間にプログラムが起動し、その世界が固定されるようになっている。
この仕組みが、まさに素粒子の世界で起きていることと非常に似ているのだ。
であれば、今の私の目の前にあるパソコンも、パソコンがあって私がそれを認識しているのではなく、私がそのパソコンを認識して初めてそこにパソコンが存在している、というロジックになる。
まるで、ゲームの世界のように、私が「認識したその瞬間に」この世界のプログラムが起動し、現実として現れているようだ。
そんなバカな話があるかと思う人もあるだろうが、世界の優秀なブレーンは、その可能性について真剣に議論していることは事実だ。
非常に面白い考え方ではないだろうか?
私が、今私の思考として、このブログを書いていることも、何かの、誰かの意志によってプログラミングされたものだとしたら?
一体「私」とはどうやって定義したら良いのだろうか?
こう考えると引き寄せの法則や、「思考が現実化する」こともロジカルに説明できることになる。
この世界がプログラミングされた世界であろうとそうでなかろうと、どうやらこの世界は「こうあると認識したもの」が目の前に現実として現れるようにできているらしい。
であれば、そのルールに乗っ取って生きていくしかないのではないかと思う。