果たして僕は文章がうまいのだろうか?
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果たして僕は文章がうまいのだろうか?

執筆業を生業にし始めてからちょうど2年ぐらい経った。

書くことを仕事にしている、と自己紹介すると、「私文章書くの苦手なので、うまく書けるのってすごいですね」と返答されることがよくある。その度に僕は思う。「僕は文章がうまいのだろか?」と。そしていつも同じ結論に至る。

NOである、と。

僕は執筆業を始めて、まだ2年足らずだ。うまいわけがない。うまいわけではないが、それでお金がもらえているので、何かしらの評価はされている。

では、いったい何をもって僕の文章が評価されているのか、それを分析してみたい。そもそも文章を書くことを仕事にし始めたきっかけは、ある会社の出版事業部からの出版の依頼だった。

「本、出しませんか?」

俺が?本を!!?出すの??

本なんてエリートサラリーマンか、有名ブロガーか、小説家か、起業家か、脳科学者かが出すもんだとばっかり思っていたので、当時の僕からすると晴天の霹靂だった。(霹靂ってこの慣用句以外で使われてるの見たことない)

担当者さん曰く、「川口さんは視点が面白いんですよね」という。

「ふむ、文章力は決して褒められたものではないんだな」と若干凹んだものの、同時に視点が面白いというのは、なんとなく自分でも意識していた部分ではあり、妙な納得感があった。

僕が初めて「文章を書くのが好きだ」と思ったのは大学生の時だ。当時流行していたmixiに書いていた日記が、同期やマイミクにかなりウケていたのが嬉しかったのを記憶している。

また、Facebookへの投稿が多くのコメントを集めることも多々あった。その時のコメントも「視点が面白い」というものだった。

どうやら僕の発信する内容は「視点が面白い」らしい。

僕はどうして視点が面白いのか?

それはきっと、他の人がしないような見方で世の中を見ている、ということなのだろう。そして評価されているということは、その視点になるほどと思わせる何かがあるのだと思う。

僕は今まで意識的にか無意識的にか、マジョリティーとは違う人生を歩んできた。

九割が公立に進む小学校では、私立受験を選択した一割だった。一般的には受験をするのは「いい大学に入り、いい企業に就職する」ために、より学力の高い中学・高校に入るためだろう。

しかし僕は「進学先の公立中学校のサッカー部がなくなるから」という理由だった。当時はスーファミよりもサッカーが好きだったので、中学校でサッカーができなくなるのは僕にとって死活問題だった。

志望校も「サッカー部の強さと校庭の広さ」で決めたぐらいだ。かといって将来サッカー選手になりたかったわけでもない。ただ単に「サッカーがしたかったから」だ。そのために受験勉強を頑張っていた。今思えば頭おかしい動機だなと思う。

進学校から芸大へ

そんなこんなで進学校に入学したは良いものの、大学選びに悩んでしまった。学業は頑張っていたので、推薦で早稲田に行ける成績ではあったし、頑張って一橋を目指すこともできた。

だが、最終的に選んだのは、日本大学芸術学部(以下、日芸)映画学科演技コースだ。やはり、ちょっと頭がおかしい。「な ぜ な の か」少なくとも周りからはそう思われていたに違いない。

70年近い歴史の中で、その高校から日芸に進んだのは、僕を含めて2人しかいないという。もう1人の先輩は美術部で美大を目指した結果だそうだが、俳優になろうとして日芸に入ったのは後にも先にも僕ぐらいかもしれない。

上記の画像は僕の同期のサッカー部の進路だが、僕がどのくらい「浮いた」存在であったかは想像に難しくないのではないだろうか。

俳優業からフリーランスへ

日芸の映画学科演技コース、というところは基本的には将来俳優になろうと思う人間が入ってくるところなので、金八先生に出たことがある人とか、CMに普通に出ているモデルさんなんかが同期にいた。卒業生にはかの真田広之さんや佐藤隆太さんなどがいる。

一体、僕にどうしろというのか。勉強とサッカーとドラクエしかやってこなかった男子校上がりの男の子に、何をどうしろというのか。しかし、環境というものは恐ろしい。僕はそんな環境がいつしか当たり前になり、当たり前のように役者になることを目指していた。

ところが、結果的には、芸能界というところは僕の肌には合わなかった。雇用形態や、業界独特の慣習、お金の流れなどどう考えても納得のいかないことが多く、最終的にはフリーランスとして独立することを選んだ。

ただでさえ、みんなが選ばない道を選んだ僕は、そこでもみんなが選ばない道を選んだ。やっぱり、ちょっと頭がおかしいのだ。

独特の人生が培った独特の価値観

こうして振り返ってみると、人生の要所要所での判断基準が、「周囲と違うことを選択している」ことがわかる。それが周りのいう「視点の面白さ」につながっているのではないかと思う。

最近フェイスブックに投稿してちょっと反響があったものを紹介したい。

結婚式するの辞めませんか?
https://www.facebook.com/chuankou.meishu/posts/994303350652437

タイトルを若干あおってしまったがために賛否両論あったものの、「その通りだ!」と好意的なコメントも多かった。

今度出版する本も「ダイエット」をテーマにした本ではあるが、みんなが痩せるために取り入れてるダイエットを、意味ないから辞めたほうがいい、という趣旨で書いているものである。一見常識はずれだが、中身を読んだ担当者さんは「なるほど」と(今のところ)納得している。

どうやら僕は世の中の当たり前を当たり前と受け入れずに、おかしいと思うものはおかしいと発信しないと気が済まない性格らしい。でも、その「おかしい」は誰も言わないだけで、実はみんな思っていることだったりする。

これが僕の文章を読んだ人に「視点が面白い」と言わせしめている理由だと、僕は解釈している。

「視点が面白い」文章を書ける理由

ライターとして飯を食っていくためには、「自分にしか書けないもの」・「ほかの人には負けない武器」を持った方がいいという。僕はその武器は「話を聞いた人の数」と「感情の一般化」だと思っている。

僕の最初のキャリアはカウンセラーだった。詳細はSTORYページに譲るとして、過去5年間くらいで1000人近くの人の話を聞いてきた。仕事の話、恋愛の話、健康の話、心の話、人生の話、、、ありとあらゆる人のリアルな体験談が僕の頭の中に蓄積されている。

人が何かを決断する時、例えば新卒で最初に入る企業を選んだ理由、長年付き合っていた恋人と別れる経緯、人生の転機になった出来事など、いろいろなタイミングで人が何をどのように考え・感じ生きているのか腐るほど聞いてきた。

僕もフリーランスとして、決して順調な歩みを進めてきたわけではないので、多くのことに悩み、考え、自分自身の感情と向き合ってきた。

「人ってこんな時にこんな感情になるよね」という知識と、「自分はその感情をこのように乗り越えたよ、扱ったよ」という体験から、人間の感情というものを分析し、一般化することができた。

その「感情」のデータベースが、僕の書く文章のベースになっていることは間違いがないし、それが書かれていることの納得感を生むのに大きく影響している、と思っている。

おそらく多くのプロのライターさんは、たくさんの本を読み、たくさんの文章を書き、たくさんの活字と向き合ってきたことだと思う。その人たちと比べたら、自分の文章力などは月とスッポンほどの差が開いていて当然である。

しかし、僕はたくさんの人の感情に触れ、何回も自分自身の感情と向き合い、人間の心が動く瞬間と立ち会ってきた。そのスッポンの泥臭さが、僕の武器であると思っているのである。

川口 美樹

俳優業からの独立。現在は執筆・企業研修・ワインのインポート・300人規模のイベント運営などいくつか個人でやっています。子育てする時間も欲しいので、株式投資や不動産の分野も勉強中です。気軽にフォローしてくださいね。