なぜ朝日を浴びることが大事なのか?
最近、めっきり気温も春らしくなってきており、朝の日差しが気持ちがいい。
太陽の光というものは、全てのエネルギーの源泉になっているので、やはり人間も太陽の光を浴びると元気になるらしい。
実際に、朝の習慣として「陽の光を浴びる」ということを習慣にしている経営者も多いと聞く。
科学的に言えば、目に光が入ることによって、脳の松果体という所に「スイッチ」が入り、副交感神経(リラックスモード)から交感神経(活動モード)に切り替わるようだ。
さらにいうと、体内の時計遺伝子、というものに松果体が指令をだし、「今日の一日が始まりましたよ!!!!」という号令を体全体に行き渡らせる働きがあるのだとか。
それだけも、朝は陽の光を浴びた方がいいというのもわかるが、精神的には「上を向く」ということに意味があるのではないかと思う。
これは以前、雑誌『ムー』(日本一の発行部数を誇るオカルト雑誌)の編集長が、インタビューでどうして「UFO」を追うのか、と聞かれた時に
「今、みんな下を向いている。UFOを追っかけると上を向くじゃないですか」
と言っていたのが、すごく印象的だった。(正確な表現は違うかもしれないが)
確かに現代の私たちは、上どころか前を見る機会すら減ってきてしまっている。
作詞家の永六輔さんに言われたこと
「上を向いて歩こう」という曲がある。
この曲を知らない人はいないと思うが、この曲の作詞を担当した永六輔さんという偉大な人の存在を知る人はあまりいないかもしれない。
永六輔さんが、僕が小学生の時に講演に来ていただいた時のことで今でも覚えているのが
「いただきます、は『あなたの命を私の命にさせて』いただきます、の意味なんですよ」とおっしゃっていたことだ。
あの言葉は、なぜか未だに脳裏に焼き付いて離れない。今でもいただきますをいう時には思い出す。当たり前を当たり前と思わないように、当たり前に感謝することの大事さを教えてくれる言葉でもある。
そう考えると、朝起きて、陽の光を浴びるということは、「今日も無事朝を迎えられたことに感謝できる」ことでもあるのではないかと思う。
この歌時代は、安保闘争に敗れた時に作った歌だそうだ。
「上を向いて歩くことの大事さ」と、敗れてもなお「上を向いて歩けることの尊さ」を噛みしめることの大切さを、永六輔さんは歌ったのかもしれない。
そんなことを、朝の三軒茶屋の通りを歩きながら思い出した。