好きなものを語り出した経緯
最近、ブログを書く時も人と話す時も、自分の好きなものを発信するということを意識しています。
僕は「人の話を聞く仕事」が多いので(インタビューとかコーチングとか、仕事じゃないけど恋愛相談とか)クセでつい「聞く側」に回ってしまいがちで、自分を語るということの重要性をどこかに置いてきてしまっていました。汗
よくよく考えると今までもいろんな人に「美樹さんて喋ってる時の方がイキイキしてますよ」とか「漫画とかゲーム好きなから早く言ってくれればよかったのに」とか、「もっと自分語りをした方がいい」というメッセージはもらっていたのですが、あんまり自分ごととして捉えてなかったんです。
じゃぁなぜそれを強烈に意識しようと思ったかというと、これだけいろんな人と出会っているにも関わらず、「信用はしてもらっているけど、仲良くなれていない」ということに気付かされたからなんです。
人の話を聞くのは上手(と自分でも言えるほど自信があります)なので、確かに信用はされているんです。でもね、仲良くなっていないんですよ、その人と。距離が遠いので、他人からすると「この人すごく丁寧に話を聞いてくれるから悪い人じゃないんだろうとは思うけど、何考えてるのかよくわからない」と思われてしまう。
これってすごく損だなって思ったんです。
んで、自分の好きなことを語るようにしたんですけど、でもその結果見えてきたことは、自分の嫌いなものがなんであるかということだったんです。
好きを語った先に、嫌いがあることに気づいた
好きと嫌いって光と影みたいなもので、表裏一体なんだなって気づきました。
僕は漫画の作家さんの中でも、いろんな好き嫌いがあるんですけど、その中で「キャラの書き分け」ができる作家さんが好きな傾向にあります。例えば尾田栄一郎さんとか浦沢直樹さんとかです。
尾田栄一郎さんの凄いところは、あれだけキャラを出してるにも関わらず、キャラがかぶるキャラが1組もいない、ということ。どのキャラにも個性があって、設定がきちんとある。あれだけのキャラを書き分けられるのが本当にすごい。
浦沢直樹さんは、国籍ごとの顔をきちんと書き分けているのがすごい。ドイツ人のおっさんはドイツ人のおっさんの顔をしているし、ロシア人の女性はやはりロシア人の女性の顔をしています。すごいのは、アジア人とスペイン人の混血とかもきっちり書くところ。(キャプテン○に爪の垢を煎じて飲んでもらいたいぐらいです)
ではなぜ僕が、この書き分け能力が「好き」なのかというと、僕自身が「人の多様性」を大切にしている人間だからなのだと思うんですね。だから、その多様性を表現している人がすきになるわけです。
そして翻って、多様性が表現されていない人は、嫌いになりやすい(漫画だと読まない)ということになるんだなと気づいたんです。
怒りの感情の裏に、その人の大切にしているものがある
僕は社会に出てすぐに自己啓発とかに出会っていることも影響してか、「怒り」という感情が悪いものだと思ってきました。
仏教の世界でも三毒という言葉があって、怒りと欲と嫉妬が一番罪深いってことを知ってからなおさら、「あぁやっぱり怒りはよくないんだな」って思って、自分の中の怒りを見て見ぬ振りをしてきてしまったんですよね。怒りは争いの種、不幸の原因、というレッテル貼りをして、その感情が起こらないように無意識下に閉じ込めてしまっていたんです。
でもある時に、人から「人は自分の大切しているものを毀損された時に怒りの感情が湧く」ということを聞いて、なるほどなと思ったわけです。なぜならそれは裏を返せば「怒りの裏側にその人の大切しているものが存在している」ということに他ならないからです。
例えば小説でも漫画でもいいんですけど、原作もので映画・ドラマ化する時って、原作の世界観が好きな人は映像化作品を徹底的に糾弾するじゃないですか。あれって「自分の好きなものをないがしろにされた」っていう感覚があるからだと思うんですよね。
つまり自分が好きなものには、自分の大切にしている何かが反映されていて、逆にそれが反映されていないもの嫌いになる、ってことなんです。これは文化でも作品でも人物でもそうだと思います。人は、自分が大切にしている者をないがしろにする存在にムカつくんです。
だからこそ、自分の「嫌い」とか「ムカつく」という感情を無視をしてはいけないなと思ったんです。そこに自分が本当に大切にしたい価値観が含まれているからです。
好きなものではなく、嫌いなものに人間性が出る

と、いうことがわかると、その人と仲良くなろうと思うと、好きなものに共感するよりも、嫌いなものの理由を聞いた方がいいのかもしれないとも思うわけです。
好きなものって同じもので人それぞれ理由が違いますけど、嫌いなものってそんなに理由が違わないというか、共感しやすいと思うんですよね。加えて、なぜ嫌いなのか=何を大切にしたい人なのかの価値観まで共有できると、その人のことをより深く知ることに繋がるんじゃないかと思うのです。
「何が嫌いかよりも、何が好きかで自分を語れよ!」という名言を残したのは「ツギハギ漂流作家」ですが、僕は「何が好きかよりも、何が嫌いかで相手を知れよ!」という教訓を残したいと思うのでした。