中身で判断されたくても、外見で中身を判断される
以前、マッチングアプリを利用していた時に、顔写真を載せてない人からのリクエストをもらったことがある。
その人のプロフィールには、「外見でなく中身で人を判断する誠実な人に出会いたいです。」と書かれていた。
その時、外見でその人を判断できない僕が、その人の中身をどう判断したかと言えば、
「あ、この人は外見にコンプレックスを抱えているか、過去におそらく、外見以外で人に愛された経験がない人なんだろうな。とはいえ、リクエストされる側の立場に立ってみれば、顔もわからない人からのリクエストなんて怖さしかないのだから、自分が逆の立場だったらどう思うか、っていう相手の立場に立つ発想のない人なんだろうなぁ。」
と判断し、左スワイプした。
無論、実際にどういう人かは、会っていないのでわかりません。本当はバリバリの美人で、モテすぎるがゆえにそう書いていたのかもしれない。
中身で判断して欲しいなら、外見を磨く必要がある。
よくセールスなんかの世界では、「カバンと靴はとにかく磨いておきなさい」なんてことが言われるが
それはその人の人格が、身に付ける物や服装などに反映されるからなわけで、人を見抜く力のある誠実な人ほど、外見からいろんな情報を読みとろうとするものなのだ。
本当に中身を見てほしいのであれば、中身を見たくなるような魅力的な外見になるよう努めなくてはならない。
この時の外見とは、
自信
肌ツヤ
目の力
姿勢
などの、顔の造形や体型とは関係のない分野の、全体的な雰囲気から醸し出されるものを指すが、
そういう意味で、私たちはみな外見で判断されてしまうので
「外見を見ないで中身を見て!」
という要求は、通らないロジックであると言わざるを得ない。