インタビューしていただいたのは、「Cool Workers」という、
あらゆるテーマで“自由なはたらき方”に関するコンテンツを皆様にお届けすることにより、これから“自由なはたらき方”を目指したい方の背中を押したり、既に“自由なはたらき方”をしている方のサポートをする情報配信メディア(サイトHPより)
である。
多様な働き方を推進するメディアに取材をしていただくことは名誉であると共に、自分自身がある種の「メディア」である、ということを改めて自覚する良い機会となった。
インタビュー記事というのは面白い。
インタビュアーの質問によって何を引き出すことができるのか?というインタビュアー側の意図と、インタビューされる側がその質問に答えることで、どんな自分を見せるのかというインタビュイー側の意図が交差し、一つのコンテンツを生み出している。
インタビューされる時に気をつけてること
私は、取材される側として、二つの軸の考え方で取材に臨んだ。
- メディアの読者がどんな情報を求めているか?
- その読者たちにどんな自分を演出するか?
という2軸である。
1は自分が書く側でもあるから、自然と発想する考え方である。今回は「Cool Workers」さんという「場所」を借りている立場でもあるので、その「場所」を見ている人がどういう人たちなのかをイメージする必要がある。
と、同時に、このメディアの価値をあげるような情報を届ける必要がある。つまり、僕がインタビューされることによって、このメディアの読者が「多様な働き方をしたい」と改めて思うきっかけ生む責務が伴うということでもある。
2は、その「場所」に対しての貢献をすると同時に、その「場所」を借りて自分を発信する、プロモーションするという発想である。
その場所としての価値も高めつつ、その高まった場所で出すパフォーマンスによって自分の価値も高めてしまおうという算段(というと聞こえが悪いが)がある。
この2軸は鶏と卵であるが、相互に絡み合い、お互いを高めあう。僕が取材されることによって場の価値が上がり、場の価値が上がることによって自分の価値も上げられる、というわけだ。
俳優としてインタビューを受ける感覚
そう考えると、インタビューされるというのは非常に演劇的な要素を含んでいることに気づく。
インタビューされる僕は、オンラインメディアを舞台として、己を表現している俳優であるとも捉えることができる。(そんなことを考えているのは僕だけかもしれないが)
つまり、そこには、演劇作品(ここでいう記事というコンテンツ)としての演出があり、俳優(インタビュイー)としてのパフォーマンスがある、ということだ。
舞台と役者は共犯関係にある。
舞台は役者(というより役)のために存在し、役者は舞台のために存在している。お互いがお互いを刺激し高め合い、作品というコンテンツをオーディエンスに届けるのだ。
つまり、インタビューを受ける側というのは、俳優と同じように
- その作品(コンテンツ)における自分の役割がなんなのかを考え
- 自分が俳優として何を表現し
- その作品を通じてオーディエンス(読者)に何を届けるのか
その準備無くして、ただただインタビューされるというのは、役作りをせずに舞台に立つという愚行に他ならない。
では、私は今回のインタビューを受けるに当たって、どんな役作りをしたのか?
それは、
内緒だ(笑)
オーティエンスには、俳優がどんな役作りをしたのかを知る必要はない。そこにあるのは、舞台と役とSTORYだけである。
俳優がどんな役作りをしたのかを知らしめてしまうのは、漫才の解説をするのと同じくらいつまらないものだから。