今、ウェブメディアのコンテンツはTV化している

「その記事は見飽きた」
昨今のウェブメディアを横断的にみている人は、そう言った感想を持っている人がほとんどでしょう。PV至上主義、SEO至上主義による中身の薄いコンテンツの量産は、メディアを陳腐化させ最終的には読者を疲弊させています。
先日、某大手のウェブメディアの編集長と話していた時に、気づいたことがありました。それは昨今のウェブメディアのコンテンツが見事に「TV化」しているということです。
ウェブメディアのこれまでの収益源は広告収入がメインでした(それは今でもそうですが)。広告がたくさん置いてある『場』にいかにしてお客さんを集めてくるか?それが PV数で評価され、広告のクリック率で評価されていたわけです。
つまりウェブメディアの役割は、「いかにしてみてもらうか?」にあったわけです。それゆえ、SEOのノウハウが発達し、キャッチーなタイトルで読者を呼び込む方法がとられてきたわけです。
その結果、検索エンジンに評価されるような記事構成、タイトル、中身ばかりに意識が向いてしまい、中身がスッカスカになってしまったわけです。
これはTVの失敗を見事に踏襲していると言えます。広告収入の柱であるCMを「いかにしてみてもらうか?」という視聴率にこだわるあまり、バラエティからは毒が抜け、報道番組は芸能人のゴシップを追いかけ、ドラマの脚本は改訂に改訂を加えられたつまらないものになってしまいました。
今のウェブメディアに求められていること

前述の編集長さん曰く、「今までは「〇〇の方法7選」と言ったようなノウハウ系の記事によってPVを集めてきたし、それが実際に収益に繋がってきたことは認めるが、このままではいけないと思っている」とのことでした。
「私たちのメディアが読者に提供する価値はなんなのか?なんのためのメディアなのか?」を定義できていない=そのメディアの存在意義が明文化できていないことに悩まれていました。
メディアの本質は「情報の媒体であること」にあります。ならばそのメディアが「誰にとってのどんな情報を集めた媒体なのかがわからない」というのは非常に致命的です。
特に恋愛系のウェブメディアで顕著なのは、恋愛系の記事の作成には、医療系の記事などの作成と違って、専門性を必要としないがゆえに、ライターの腕によってコンテンツの質にものすごくばらつきが出やすいということです。
恋愛や人間関係に関するコラムは普遍的なテーマであるがゆえに、正解がなく、専門性を明示しにくい分野でもあります。ですからライターの「人間という生き物への理解度や洞察力」がそのままコンテンツの質に(主に悪い意味で)反映されてしまいます。
そうすると「彼氏がキュンキュンしてしまう甘えワード5選」と言った、本当にどうでもいい読者の問題解決にほとんど貢献できない記事が量産されてしまうのです。
その編集長の言葉を借りるとするならば、「今後もそうした量産型のコンテンツを作り続ける必要があるのであればいずれ限界がくる」ことは目に見えていますし、「それと並行して、より本質的な何度でも読みたくなるようなコンテンツを作る必要性がある」ということでしょう。
選ばれるライターと淘汰されるライターの違い

そう言ったウェブメディアの潮流の中で、生き残れるライターは「より本質的なことが書ける」ライターであると言えるでしょう。
前述の例でいえば、「彼氏がキュンキュンしてしまうような甘えワード」を探している読者が、なぜそのキーワードで検索するのかの背景を考えられるライターかどうかということです。
彼氏をキュンキュンさせたい彼女は、彼氏をキュンキュンさせられなくて困ってるわけです。その時、問題の本質は「どうやってキュンキュンさせられるか?」ではなく、「なぜ彼氏は彼女にキュンキュンしなくなったのか?」にあります。
ですから本当に読者が困っていることに応えるには、「彼氏をキュンキュンさせたい女性に甘えワードを提供する」のではなく、「なぜ彼氏が彼女にキュンキュンしなくなったのかを気づかせる」必要があるのです。
更に言えば、読者の検索キーワードをいい意味で信用しないライターになる必要があるのです。
ありがたいことにその編集長さんからは、「川口さんのような、本質をつくような記事を書ける人がいない」というお褒めのお言葉をいただきました。
心にどや感を抱きながらもそのオフィスを後にした僕の頭の中では、「暗雲立ち込めるウェブメディア業界の一筋の光になりたい」という野望が渦巻いていたのでした。