「オレはオレ、ヒトはヒト。」
そんな人間関係をずっと作ってきた。
「それはちょっと違うんじゃないの?」と思ったことがあっても、思うだけ口に出して表現をしてこなかったし、する必要もないと思っていた。
だって、オレはオレ、ヒトはヒトだから。
でも、本当に、本当に実現したいものが明確にあると、
「それはちょっと違うんじゃないの?」と思ったことを、言わなければいけない時がくる。
それは相手の意見をねじ伏せるための「それはちょっと違うんじゃないの?」ではなく、
相手の本当に実現したい未来から逆算したときに「それはちょっと違うんじゃないの?」と思う選択に対して。
オレはオレ(の人生があり)、
ヒトはヒト(の人生がある)。
だから言わない、のではなく、
オレはオレ(の人生があり)、
ヒトはヒト(の人生がある)。
からこそ、言う。
その必要性を最近とても感じる。
自分ひとりで生きていくなら、前者の選択でも構わない。
でも、誰かと協業して生きていかなくてはならないなら、自分の価値観と相手の価値観がぶつかり合わせなくては大きなことは成し遂げることができない。
仮にその瞬間は嫌われる結果になったとしても
「本当にそれでいいの?」って相手の人生に踏み込めるコミュニケーションができるかどうか。
それが自分自身の器を磨いてくれる絶好のチャンスじゃないかと思います。
ダイヤモンドがダイヤモンドでしか削られないように、
ヒトは自分と同じか、それ以上の硬度のヒトとぶつかった時にしか、磨かれないのかもしれない。
(写真は講演会のスタッフと、「ぶつかった」ときのもの。メンバーに磨いてもらっていることに感謝である。)