企業に応募する形から、自分を売り込んでいく形へ

株式会社リーディングマークの主催する「Venture Party」に参加してきた。会の趣旨自体は、ベンチャーで働くことが興味がある人たちの交流を楽しむものだったが、僕はそこで大きな学びを得た。
この会社は、 レクミー などの「人」を主軸にした就職や転職のプラットフォームを提供する会社だ。
その代表取締役でいらっしゃる飯田悠司氏に、人材業界のイマを伺う機会に恵まれた。
氏曰く、
「これまでは、企業が主体となって求人情報を出し、それに多数の求職者がエントリーする構造が一般的でしたが、
これからは、求職者が主役になって、働きたい企業に自分を売り込んでいくことが必要になります」とのことだった。
(記憶に頼っているので、正確な文言ではないが、このような主旨のことをお話されていた。)
この話を聞いた時、僕は知り合いの話を思い出した。
ジョブハンティングとジョブサーチの違い

海外の就職はジョブ・ハンティング
日本の就職はジョブ・サーチ
だと言われている。
耳にタコができる話だが、日本の就職は、自分の本当にやりたい仕事を見定めないまま、ジョブ・サーチ、つまり検索を始めてしまうため、理想の働き方を実現できる人は極わずかだ。
しかも、そのサーチの範囲は求人を出している企業の情報に限られてしまうため、本当の意味で自己実現につながる仕事を見つけることが容易ではない。
しかし、海外では、ジョブ・ハンティングが一般的だ。求人が出ていようがいまいが、「俺を雇え」というスタンスで職を狩りに行くという。
これが日本と海外、とくにアメリカとの働き方の違いだ、という話だ。
冒頭の話に戻そう。
このレクミーというサービスは、その企業で働いている人、と学生をマッチングさせるアプリケーションだ。
学生が気になる社会人を見つけ、会ってみたいとリクエストする。
逆に企業の採用担当者からは、その学生がプロフィールに挙げている動画や、関心分野のキーワードが見られるようになっている。
まさに、ジョブ・ハンティングの形だ。
特に学生側が自己紹介動画を挙げられるというのが面白い。
ここで、自由に自分を表現し、PRできる。動画は、履歴書なんかよりも、100倍その人を物語る材料になるだろう。
さて、このジョブ・ハンティングが主流になった先に何が起こるだろうか?
ジョブハンティングにおける自己表現力の必要性
企業に人が集まるのではなく、その企業で働く人に人が集まるのであれば、
当然だが企業は、フロントマンに魅力的な人を配置するし、その人の求心力で優秀な人材が集まるなら、その人の仕事は絶対になくならない。
むしろ魅力的なフロントマンとしての引き抜きが起こるかもしれない。
逆に選ばれる側も、魅力的出なければならない。なぜなら企業が魅力的な人材を求めているから。
そこから導き出される未来はシンプルだ。
自己実現できる人は仕事を得られるが、
自己実現できない人は仕事が得られない。
働き方の多様化が叫ばれる昨今、その波に乗れる人間というのは、自己を理解し、表現できるものに限られる。
逆に自己表現できない人間はロボットや機会に仕事を盗られていく。
つまり、働き方は、多様化できる人とできない人に二極化していく。
だからこそ、自分の価値を自分らしく表現できる力がこれからの若い世代には必要になる。
改めて自己表現力の必要性を感じた機会になった。