今朝Newspicksを読んでいたら、こんな記事を見つけました。
以下記事の引用です。
「ところで、君って美術史専攻だったっけ?」
すると、「物理だよ」と思わぬ返事が返ってきたのです。私は、「え? どうして物理専攻なのにこのクラスを取っているの? 一般教養のスタンダードな美術史の授業じゃないのに」と聞き返しました。すると彼は、
「だって、社会人になったときに自分のルーツの国の美術の話ができないなんて恥ずかしいじゃないか」
と答えたのです。彼は、オランダ(ネーデルラント)系アメリカ人でした。そのとき私は、欧米人の未来のエリート候補の意識の高さを痛感しました。私はいまだにその衝撃と感動を忘れることができません。
これは本当に、その通りだなと思います。日本人が海外にいって恥をかくときは、英語が喋れないことでもなく、海外の国際情勢についての知識が浅いことでもなく、「日本の文化について聞かれた時に答えられないこと」なんですよね。
教養としてのアートを学ぶ必要性

ところで僕は中野京子先生の『怖い絵』シリーズが大好きなのですが、この本を読むと、アートと政治や宗教との繋がりがよく分かります。
時に抗い(弾圧や検閲)、時に利用され(プロパガンダ)ながら、その時代を生きたアーティストたちが伝えたかったメッセージを作品に忍ばせています。
絵や彫刻だけでなく踊りにも興味深い歴史があります。
Perfumeの振り付けに代表されるコンテンポラリーダンスは、「上へ、上へ」と行こうとするバレエからの脱却をテーマに、「下へ、下へ」行くことからその歴史がスタートしました。
それはモダンダンスの祖である、イサドラ・ダンカンという人が、トゥシューズを脱ぎ捨て「裸足で踊り始めた」ことにも関係しています。なお、バレエが爪先立ちをして上へ、上へと行こうとするのは、バレエがその昔「娼婦の仕事」だったことにも関係しているという説もあります。
『怖い絵』の中にも紹介されている、ドガのバレリーナを描いた『エトワール』という作品には、舞台袖に真っ黒に塗られたパトロンが描かれており、彼女たちが「上流階級に買われていた」ことが暗に示されています。(怖い)

バレリーナは、籠の中の鳥だったわけです。そこから抜け出したい、羽ばたきたいという思いが、あの爪先立ちと高いジャンプを追求させたというわけです。
音楽で例えるなら、差別を受けてきた黒人が生んだソウルミュージックのような、あるいは反体制を歌うパンクロックのような、一種の「叫び」だとも言えるでしょうか(これは僕個人の解釈です)
日本人は日本の芸術に強くなった方がいい

対して日本舞踊は昔から「下に、下に」を意識した振り付けです。西洋の古典的な踊りとは異なり、重心がめちゃくちゃ低いです。
飛んだり跳ねたりせず、すり足で頭の高さを変えずに踊ります。これは、八百万の神様への信仰への現れであり、自然との一体化を大事にするいかにも日本らしい「地に根ざした」文化の一つだと言えます。コンテンポラリーはこの日本的な踊りを取り入れて作られたと言われています。
西洋美術史を学ぶ上で、同時に必要不可欠なことが、日本の芸術史に明るくなることだと僕個人は思います。
西洋美術史は、向こうの人にとってはそれが常識、語られても面白くともなんともありません。ジャパニーズカルチャーを語れた方がより興味を持たれやすいです。加えて漫画の歴史なんかも語れちゃうとマーベラスですよね。
例えばこのような文脈でアートを語れたりすると、海外の人にも興味を持ってもらいやすいのです。彼らと同じ土俵で戦おうとしても知識量で勝てるはずがないので、日本らしさや独自の視点でアートを語れることの方が大事なのではないでしょうか。